「カジュ通信2005年春・初夏号より」
9回目のカジュ祭が無事終わりました。
9年目のカジュ、始動です。
巻頭エッセイ
たなか 牧子
「誰かの携帯電話が鳴ってる」カジュで教室をしているとき、部屋に置いてあるカバンのどれかから呼び出し音がしているのですが、一体、どこで鳴っているのか、さっぱりわからない。遠くのような近くのような右のような左のような、、、。デジタル音には、そんな、距離感をつかむのが難しい性質がありますね。
ケイタイだけではありません、今日、ちょっと前まではアナログ音だったもののほとんどがデジタル音になっています。電話(家電イエデンと読む)、各種警報、そして子どものオモチャに至るまで。何ですか、そういう音に囲まれると空間に奥行きがなくなるというか、広がりがなくなるというか、とてもうすっぺらい次元に身をおいている感覚に陥ります。そう、ちょうどテレビ画面のような、、、。
去年の3月まで、市内の中・高で美術を教えていたのですが、静物画の写生などで、時々考えてしまうことがありました。年々、生徒たちの物を見る力が平面的になっているなあ、と。二次元の紙に、三次元の物体を写しとるわけですから、当然そこには“ウソ”があるわけですが、そのウソにもつき方がありまして、「見えないところは描かなくてよい。」ということでは決してないのです。まーるいカップの向こう側も、見えていなくても「ある」と感じさせる描き方は、一見して見えているものだけを「ある」ものとするペッタリした二次元の感覚では、できないものだと思います。隠れていて表からは見えないものを見ようとする気持ち、そしてそれを目だけでなく嗅ぐ、聞く、そして触ることによって確かめたいという欲求なくして、物事の本質に迫ることはできるでしょうか。
バーチャルリアリティの世界が現実といっしょくたになっている気風の昨今、ま、それで幸せなら別にいいんですけど、このままでいくと、虚しさばかりが蔓延する世界になってしまいそうな気がします。表には、それを支える裏があり、陽が陽たるために陰が必要で、ハレを決めるには、誰の目にも触れない連綿としたケが大切になってくる。手拍子に“裏拍”が組み合わさることで、より厚みのある響きが生まれるように。日本は、その陰、裏拍、月の支配する世界観を大切に、地味に日常を積み重ねる習慣をもっていました。それがあるからこそ、「ハレの舞台」〜年に1度の祭りとか、正月とか〜がビシッときまったんじゃないでしょうか。毎日ダラダラ「ハレ」気分。でも実際は「ケ」の裏打ちがないので、心からハレバレ、とはいかない。そんなことを思う、9年目の春。
連載 <<往復書簡>>波多圭以子 → 礒辺朋子
今号のテーマ
「直感」
直感とはなんとたのもしいものだろう。
女性はもっと直感に頼ってもいい。
小賢しく、りこうにふるまうより、感じよう。
礒辺朋子様
最初にお目にかかってからもう随分と長い月日が経ちますが、このようにお手紙を差し上げるのは初めてですね。 先には、歌集の出版、おめでとうございます。そして、もうすぐお母様になられるとのこと 重ねてお喜び申し上げます。
「短歌」というものをこんなに身近に感じたことがなく、また、作者の内面深くをまっすぐに 表わされた作品に私は怖いと思うほど心動かされました。心情を私自身の上に重ね合わせたりして、 私も内なる自分と向き合うことになりました。
私は時々自分の内側と対話をします。
何かを決断する時、困った時、迷った時、心静かに自分と向き合うとおのずと浮き出る答えのようなものを感じることがあります。
「直感」とでもいうのでしょうか・・・・・・。
ふりかえると私はここまで直感と感覚を頼りに生きてきたように思います。受験や仕事、結婚、子育て・・・・・・。もちろん努力もしてきましたがここ一番はやっぱり直感で道を決めてきているなぁと思います。一見何の苦労もなくスムーズに思える人生を 「棚ぼた人生だね」なんて言う人もいますが、「棚ぼた」にも悩みはありまして、 迷ったりあがいたり、曖昧な気持ちで過ごす時間の方が長いかもしれません。
直感というとピンと張った細いもののようなイメージを持ちます。私の場合は何というか・・・内側から湧く、太くてゆるぎない感覚なのです。地球の外側にある宇宙と同じ位大きな宇宙を私の内側にも感じていて、日常の出来事を受け止めたら、内側に投げかけ、何か答えが返ってくるのを待つのです。すぐ解ることもあれば、なかなか解らないこともありますが、心の声を聴くことは、精神的バランスを取ることでもあり、私にとってはとても大切なものになっています。
礒辺さんは、歌を詠まれる時、どんなふうに直感をもたれますか?
また、新しい命が誕生しようとする今、何かを感じていらっしゃいますか?
波多圭以子
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波多圭以子様
お手紙ありがとうございました。いつもカジュ通信を楽しく拝読させていただいている一読者の私が、まさか紙面に参加することになるとは―――。波多さんよりのご質問にお答えする前に、私の自己紹介を簡単にしておきたいと思います。
家族は夫とビーグル犬。趣味の延長ですが、シャドーボックスのお教室とお店を自宅を開放して開いています。また私の生活の大半を占めているもの、それが短歌です。昨年初めて歌集を出しました。そして現在妊娠9ヵ月。新しい家族が増えるのを心待ちにしている日々を送っています。
さて、まずは「歌を詠む時にどのような直感を持ちますか」というご質問にお答えしなければなりませんね。
なかなか子供に恵まれなかった30歳前後、私は自分を根無し草のように感じていました。振り返っても振り返っても後ろに繋がるもののいない漠然とした不安感を抱えていた時、短歌と出会いました。私はこの31文字という制約のある詩形に、自分の胸の中の泥を吐き続けました。五七五七七のリズムは心地よく、また私を柔らかく受け止めてくれました。
私が作歌する上で気をつけていることは、自分の心を素直に表現するということです。
林檎を一つ手に取っても、人は様々な感情を持つはずです。私自身、実りの結晶のような赤さに煌々しさを感じる時もあれば、ずしりと蜜の入った林檎の重さに妬ましさを抱く事もあります。その一瞬の心によぎる感覚を逃さず捉えて歌にします。多くの言葉の中から今の感覚にはまる言葉を選びとっていくのです。「直感」を今まで意識していませんでしたが、短詩形なだけに直感なくしては歌は作れないと思います。
文章はまさに生き物です。特に短歌は助詞を一つ変えただけで、一首が生き生きしたり、逆に死んでしまったりします。
一瞬の直感で捉えた心の動き、言葉がどこまで読者の心に響いてくれるのか、歌の世界は途方もなく広く深く、まだまだ私は溺れている状態ですが、自分の直感を信じ歌い続けたいと思っています。
さて、二つめのご質問は「新しい命の誕生をどう感じているか」でしたね。
17年間子供を授かりませんでしたので、突然の妊娠に「何で今なの?これは神様からのご褒美?それとも試練?」等々戸惑ってしまったのが正直なところです。
ただ今は、自分自身の中で起こっているこの太古より繰り返されてきた営みを、じっくりと味わっています。早く会いたいという気持ちと、母子一体の今をもう少し楽しんでいたいという二つの思いを交錯させながら。何かを感じているというより、逆に今の私は無に近い心境です。聞こえるはずのない赤ちゃんの鼓動や、羊水の波動に耳を傾けるかのように五感を磨き澄まし、ゆったりとその時(出産)が来るのを待っています。
今回の波多さんからのお便り。自分自身をみつめ直す良い機会となりました。
ありがとうございました。
礒辺朋子
★寄稿★
===ing現代美術===
小さな投げかけが大きな波紋へ、地道な美術交流を目指して
= ECHOプロジェクト=
エサシトモコ
※Echoエコーはこだま、反響という意味です。Ecoエコではありません。
現代美術ってわかりにくい!アートと生活は別のものなの?
海外のアーティストと交流すると何かいいことあるの?
そんな疑問をお持ちの方も多いのではいでしょうか?自分が美術家である以上、一人の生活者として人間として、作品を制作し発表することに責任を持ちたい。そんな思いもあって、三人の女性アーティストによって
ECHOプロジェクトは結成されました。
もちろん、女性であることにこだわりがあるわけではありませんが、ツーといえばカー、生活に対する価値観や境遇、「競争する」より「協力する」など、女性同士の持ち味を生かして活動しています。
そして、その都度サポーターやスタッフを募り協力してもらっています。勿論、サポーターは老若男女を問いません。
2003年、まず手始めに海外(リトアニア)で知り合ったスコットランドの映像作家スー・グリアソンを招いての展示とレクチャーを企画。
ECHOプロジェクトVol.1,Vol.2、そして8月には私達がスコットランドに招かれて展示やレクチャーを経験しました。
Vol.3イングランド出身の彼女(スー・グリアソン)は若い頃ニュージーランドの生徒数5-6名の小さな小学校で先生をしていました。その後、現在の夫サンディーと結婚し、スコットランドで農場を始めました。
農場主であり、男女二児の母であり、そして、草木染め、キノコ染め、
貝殻染めなどの自然物を使った染色の研究者としても活躍し、染色に関しての分厚い専門書を出すほどの実力者です。近所の染色や織物、パッチワーク、フェルトなどを作る女性達を集めてグループを作って幅広く活動していましたが、50代にさしかかってから、グラスゴーのアートスクールに入学し、なんと首席で卒業、その後はほとんど独学で映像を使った現代美術作品を手がけ、現在は自分の制作だけでなくスコットランドの作家と作品を海外に紹介したり、海外の作家との交流にも力を注いでいます。
現在は60代ですが相変わらずその勢いは衰えていないようです。
そんな、彼女の作品の持つ年齢を超えた斬新な表現力と、精力的で前向きな生き方に私達は賛同し共感して 、2004年(昨年)の10月に、横濱美術館のアートギャラリーでスー・グリアソン展-Sliceとレクチャー、スコットランドの映像作家の作品紹介などを、ECHOプロジェクトVOL.4として開催することが出来ました。
今も彼女との接点は消えることなく、互いに自国の作家や作品を紹介したり、互いの国を訪れたりと波紋は広がっています。そしてまたいつかどこかで、この波紋が大きなWaveとなることを夢見ているところです。
ECHOプロジェクト
◎構成メンバー&今年の交流活動
エサシトモコ・・・鎌倉市在住、今年はドイツ・リューベックでのアートフェスティバルに参加します。秋には鎌倉市内でも個展の予定があります。
本多真理子・・・昨年はトキ・アートスペース(東京)で生の卵を何百個も使った展示を行いました。今年はオーストラリア展、日韓交流展など海外での活動も多くなりますが、日韓交流展は日本国内でも展示があります。
丸山芳子・・・昨年は夫でパフォーマンスアーティストの丸山常夫と国内でECO&EGOという大規模展示の企画を手がけました。今年はスコットランドにおいて LOOK2005に参加の予定です。
◎所在地: 〒248-0002 鎌倉市二階堂822
http://www012.upp.so-net.ne.jp/esashi/ECHO.html
物を愛するこころを分かち合う、雑貨・小物・アクセサリーの店異文化の風
by いしだ
鎌倉駅西口を出て扇ガ谷方面へ右に曲がり、県税事務所と水道局を過ぎてすぐのテナントビルの一階にある雑貨・アクセサリーのお店
『さかゑ』。
一見するとフツーお土産物屋さん風だが、いえいえ中身は違います。
知り合いの作家たちが作ったという、一つ一に愛情が感じられる品々や、店のご主人がその鮮やかな色彩に魅了されたというトルコの手書きの絵皿や陶器などが並ぶギャラリー・スタイルに近い雑貨店。その中には、花樹ブランドの製品も。
店のご主人、どんちゃんこと依田正信さんと、奥さんの英里さんにお話をうかがった。
東京から鎌倉へ・・・上野はアメ横の高級宝石・時計舗で働いていたというお2人が、初めて店を持とうと意を決した時、まず最初に候補にあがったのは東京の下町・巣鴨。土地勘もあって賑やかな商店街は魅力的だったそうだ。
しかし、最終的には知人の誘いもあって、鎌倉へ。『さかゑ』さんと『鎌倉』を結ぶキーワード、手仕事あるいは手作りという言葉を考えてみると、始めから縁があったのは鎌倉の方だったかも。
売り手と作り手・・・東京とは流れる時間が違う鎌倉。依田さんはこの地へ移り住んで少しのんびりすることを覚えたという。
そして、さかゑを開店してから始めたのがマクラメ――麻ひもでネックレスやブレスレットを編むことだ。編み始めてから約8カ月が経ち、現在はオリジナルの小物も考案中だとか。上野時代からの知人、ヘンプデザイナーの麻太朗さんから、いつも「編んでみたら」と勧められていたが、「僕は絶対編まない」と思っていたそうだ。―――鎌倉の空気を吸うと、何か作ってみたくなるという気持ち、カジュにかかわるあなたなら理解できる。oui!
さらに、自分の手を使ってできることなら、何にでも挑戦してみたいと、依田さんの夢は広がる。世界に一つだけ・・・今となってはあまりにも耳慣れしたフレーズとなってしまったが、でもやっぱり、手作りのものというのは、ふたつとして同じものは無い。
皮工芸作家のHITOSHIさんのハードボイルドさと繊細さをあわせもつ皮の小物入れ、インサイドアウトというガラスの内側に彩色する特殊な技法を使った、それはそれは美しいガラス玉(ペンダントトップ他/green glass、子牛(ネオ)硝子工芸)などなど、自分だけの何かを探しに、足を運んでみてほしい。
また、取材中に店先で目にとまったのは、古切手の栞。どこか懐かしい香りのするこの栞は、鎌倉の重度身体障害者の作業所で作られている。垣根を取り払って人と文化の交流を目指したいというこの店のコンセプトの一端がうかがえるもの。
●「さかゑ」という名前の由来 依田さんには95歳になる最愛のおばあちゃまが東京にいらっしゃる。さかゑとは、このおばあちゃまの名前。
住所:御成町13−12 定休:木曜
御成町1312ビル102 Open:10:00〜19:00
0467(23)5573
Eメール:sakae-don@air.ocn.ne.jp
やさしい由比が浜、材木座の海にくらべて、葉山の御用邸を横須賀方面に向かった先の長者が崎の海には雄大で男性的な美しさを感じます。
その長者が崎の海を臨む高台に今年2月にオープンしたSolaya があります。
それぞれに地元・葉山エリアでCAFEの運営やアート活動を展開していたEKKE(エッケ)、源(ゲン)さん、太郎さん、そして尚(なお)さんの四人が中心となって立ち上げた素敵な空間です。オープン以来鎌倉、逗子、葉山界隈ではうわさがうわさを呼んで今もっとも注目のスポットになっていますが、中には「いろんなことやってるみたいだけど、Solayaって何?」という声も聞かれるので、お話をうかがいに行ってきました。(た)
もともと、会社の保養所のような使われ方をしていた豪奢な二階建ての一軒家をこの四人と仲間たちが、廃材や不要品を用いて文字どおり手作りで改装。木の梁や柱が豪快に組まれ、高く抜かれた天井が空間の厚みを演出する二階部分は、テラスを備えた大きなカフェ、ギャラリー&イベントスペースになりました。
設えられたイス、テーブル、ソファなどは「買ったものはひとつもないです(笑)。」と源さん。たしかにそろいのモノはなく、みなそれぞれにここに来る前は、別々の場所で時を刻んでいたに違いないものが寄せ集められた感あり。
しかし、デザインも材質も異なるそれらの備品たちが「ここで出会うのが運命だった」と思わせるほど不思議と調和して、心地よい空気を生み出しています。
カフェでは、ときどきの素材のよさを生かした無国籍料理と珍しいベルギービールやこだわりの日本酒、ソフトドリンクなら開花緑茶、エスプレッソなどが楽しめます。「ゆるくて心地よい空間づくりはもちろんですが、水物(飲食)に関してはしっかりしたものをお出したい」と尚さんがおっしゃるだけあり、お料理、どれも美味しかった!
一階には8畳2間つづきの和室があり、宿泊スペースとなっています。正式には二階スペースがSolaya (空とSolarの意味があるそう)、そしてこの宿泊スペースをKaraya (殻屋)と呼ぶそうです。
たしかに、"こもりたい" 方にはお薦めのひっそり感。そして宿泊のウリはなんと言ってもお風呂。家族風呂サイズながら、2面が大きくガラスで切り取られ、その向こうには長者が崎の海が一望というロケーション。
源さんいわく、「今はここが、" ○○をするところ" という定義づけをしたくないな、と思っています。色々な可能性があるところだと思うので、これからどんなことができるかは訪れてくれる人たちといっしょに考え、作っていきたいですね。」
現在は毎週末、祝日、そして満月の日に( ! )いろいろなイベントが組まれていて、その時は内容に合わせたケータリングチームが特別メニューを用意しています。
「ここは四年間限定での運営がはじめから決まっています。これからは実験的なアート系の催しも試みたい。この四年の間にここを通して人がつながること、それによって生まれる新しいことを大切にしたい。そしてそのSolayaスタイルが、ハコ(建物)がなくなったあとも残って拡がっていくといいなと思います。企画の持ち込み、歓迎です。」と太郎さん。
限られた命を懸命に生きるような(笑)情熱と、決して何かにしがみつかない潔さ、愉しいことを大切にする心意気・・・、ここならどんな人にも「自分の居場所」が見つかりそうです。
百分は一見にしかず、まずはお出かけあれ。
Solaya
046-857-9780
不定休 。営業は夕方から。
(平日は少なめに仕込んでいるため、大人数の場合は事前に電話を。)
アップライトピアノのほかアンプなどの基本的音響器材あり。
展示、ビデオ・DVDのスクリーン上映も可。持ち込み 企画、応相談。
Karaya の宿泊は人数に関係なく1泊の部屋代\30,000 朝食付き。
要予約。
◎京急バス「長者が崎」バス停下車徒1分 車の場合は長者が崎駐車場に駐車のこと。
◎葉山方面から長者ヶ崎を過ぎ、音羽の森へ入る坂道の反対の坂を登ったところにあるペットショップを過ぎてすぐ左に入った二軒目。三角屋根の大きい建物。
Eメール solaya-kalaya@nifty.com
「のうてんき」。春っぽいですね。でも私は春が嫌いです。
前にも申した気がいたしますが、やはり今年も、頑張らないと嫌いのまま夏を待つことになりそうです。
私、頑張ることにしました。「好きになる」のは、「嫌いになる」よりずっと簡単じゃない(「難しい」といってしまうと弱い私はへこたれてしまうので、、、)から、せめて嫌いじゃなくなろうと思います。アラ探しよりタカラ探しです。
春の宝探しスタート!
春と言えば、、、サクラ!桜好き!あった、宝!でも「さくら」という美人を知らないな。サクラは美しくなくちゃいけないのに。まぁ、才能があればいいか、ゴルフが上手、とか。あー!でも私、ミスチルの桜井さん好きだ、顔が。春の宝はサクラ!サクライ!あとは?あとは?、、、タケノコ!タケノコ美味しい!昨夜我が家の夕食は、タケノコづくしでした。タケノコごはん、タケノコのお吸いもの、タケノコの煮物、、、
アラ?タカラも多すぎると、、、アラになりそう。アラアラ。アラ?楽しくなってきたぞ?宝探しは楽しい!春も、、、来年は、楽しくなりそうです。
(こども造形教室講師)
古市さんへのメールはこちら
最近、月を眺めたのはいつですか?
月をじっと見ていると不思議なパワーを感じます。
小さい頃から月を見るのが好きだった私は、今でも「月光浴」をすることがあります。
気持ちも身体も浄化されていくような感覚を覚えます。
月を含め、天体の動きと人、天体の動きと植物との関わりは太古の昔から研究されてきました。農作物の収穫も、木々の伐採も月の動きに合わせて行なわれていたのです。
なぜか、そんな知恵も近年忘れ去られていましたが、関わりは変わらず続いています。感覚が鈍り感じられなくなっていたとしても、地球上の生物である私たちは確実に影響を受けているのです。
月が満ちて行く時、欠けて行く時に合わせて植物精油を使い分ける。アロマテラピーは鈍りかけた生命感覚や生体リズムを取り戻すよう働きかけてくれます。
肌のお手入れも、ダイエットも月の満ち欠けに合わせて行なえば、効果倍増です!お試しあれ。
(ミディアロマテラピースクール講師)
ミディアロマテラピースクールtel/fax 0467-22-9761
木田さんへのメールはこちら
みなさん今日は。榎田竜路と申します。
僕は音楽家です。また「子供の心の地雷を除去しよう、心の砂漠を緑にしよう」と行ったテーマにしたNPO、「横浜 アートプロジェクト」の理事長もつとめています。
このNPOは子供たちに一流の演奏家の技に触れてもらうことを目的にしたコンサートシリーズ『伝わるもの』を始め、メディアリテラシーの推進と新しい映像制作と配信のあり方を生み出すための国際映画祭、『横浜学生映画祭』や子供たちに豊な未来像をもってもらうことを目的に開催されるアートコミュニティイベント『ジャングルカフェ』等を行っています。
今年、僕たちは『Rainmaker』という地球規模のス−パー・コンセプチュアル・アート・プロジェクトを立ち上げました。
皆さん「10キロ四方を緑で覆うと砂漠にも雨が降る」ということをご存知ですか?これは自然農法提唱者の福岡正信氏が経験的直感から導き出したことだそうです。氏はまた粘土団子の発明者でもあります。
粘土団子とは、種を粘土で覆い団子状にしたもので、粘土で覆うことにより鳥の餌になることを防ぎ、種自身の乾燥を防ぐ効果があります。蒔かれた種は、粘土の〈甲羅〉に守れて、朝露を吸い根を地中深く伸ばし、根が生育に適した水分を供給出来るようになって茎部を成長させます。それは沙漠を緑で覆うのに 実に効果的です。既にインド、フィリピンをはじめとしたアジア各国やギリシャ、そしてアフリカのタンザニア等で実績をあげています。
僕たちはこの粘土団子を使ってアフリカの砂漠に10キロ四方の『楽園』を作る過程をアートとしました。興味のある人は是非このプロジェクトに参加してください。今アフリカに運ぶ種を集めています。10キロ四方の砂漠を緑地化するためには約12トンの種が必要です。僕たちは「アースボイスカフェ」という移動型のアートコミュニテイカフェの全国ツアーを通じ、『Rainmaker』とプロモーションと種集めを行っていきます。皆さんの協力をお待ちしています。
榎田さんへのメールはこちら
若葉を渡る風が心地よい季節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私はこの3月よりカジュの仲間入りをさせて頂き、感謝しているところです。
さて、何にでも興味を持つ私は、5年程前から船釣りを趣味としているところです。釣りたての新鮮な魚を食べるため、朝早くから出掛けていくこともしばしばです。
しかし、この時期ありがたいことに朝が早くない釣りものが登場します!それは、シロギスです。シロギスは、背開きの天ぷらやフライがメジャーですが、新鮮なものであれば、お刺身でも楽しめます。ということは、釣って帰ったその日(翌日でもOK)であれば、お刺身で食べられるのです!これこそ釣りの醍醐味ですね☆
でも船が心配、という方ひとまず試しに乗ってみて下さい。キス釣りは(船宿にもよりますが)2〜4時間位の短時間の釣行があります!船代は、半日で3,000〜5,000円、1日(7時間)では7,000円位です。もし、午前中釣りをしてもう少し釣りたくなったら陸に上がりお昼を食べ、午後から再チャレンジ!一日楽しめますよ。釣り竿等もレンタルがあるので、濡れてもいい格好と魚を入れて帰る発泡スチロールさえあれば大丈夫です。
と、いいことばかり並べてみましたが、虫が苦手な方には難点が・・・シロギスの餌はジャリメなのです。が、友人曰く「最初はビックリしたけど、釣りに熱中してたら大丈夫だった」と。熱中してしまえばこっちのもの!的な考えで是非一度釣行してみて下さい。
それでもどうしても不安という方には、餌に手がかからないアジ釣りがおすすめです。一度釣りたてを食べてしまったらお店で売っているアジが食べられなくなる程のうまさです。タタキはもちろん〆アジなどほっぺが落ちるおいしさです。
何はともあれ、海風に吹かれ船に揺られる、気持ちのいい時間を皆さんも過ごしてみて下さい。ただし、寝不足、空腹は禁物です。
(たなか牧子造形工房 織り教室生徒)
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