「カジュ通信2000年夏号より」
まだまだ、暑さきびしい折ですが、夕方にツクツクホウシが似合うようになりました
秋はそこまできていますね。カジュより、遅ればせながらみなさまに残暑お見舞いに
かえまして、通信夏号より選り抜き記事をお届けします。
巻頭エッセイ
たなか 牧子
今年の梅もぎは、「鎌倉生活図鑑」でもお馴染みの友人井上智陽氏と、ハイスクール隊(気の毒にも、たなかの餌食となったボランティアの中・高校生たち)の面々がワイワイやってくれて、7キロほどの収穫になりました。土用干しも済んで、全部梅干しになりました。(自分で漬けた梅干しは、どうしてこんなにカワイイの?)
建築家われらが波多周氏が、仕事の合間をみて剪定してくれた梅やカエデの枝は、細かくして煮だし、糸を染めました。
裏庭に迫りくる勢いで伸びる苧麻(イラクサ)は、これまたハイスクール隊が刈り取ってくれて、葉を落とし、皮を剥いて、繊維(草糸)をとりました。
夏場蒼々とした葉をつけるクサギは、緑色がとれる貴重な染材なので、これも今のうちに染めないと。
・・・などと、自然の営みは人間さまの都合でストップするわけではないので、ものごとの優先順位というか、段取りというか、そういったものが季節を最優先しているこのごろです。
縛られている?・・・いえいえ、これが意外なことにとっても心地よいのです。今まで感じたことのない心の平安、そして、矛盾しているようですが「自己確立」を得ています。自らの意志で、納得できるものに従っているという満足感。
半世紀前、私たち日本人は、一部の人の妄想によってみんなで納得できないものに従ってしまい、その結果、自分たち自身と隣接する国々に大きな悲劇をもたらしてしまいました。
なんだかよくわからないのに、見えないものにつき動かされて「集団ヒステリー状態」に陥りやすい民族性、というのは否定できない気がします。あんなに大きな教訓を得てもなお、その性質は「苛酷で非人間的なサラリーマン社会の形成」「子どもへの異常な早期教育熱」「盲目的で反社会的な宗教活動」などの形で脈々と受けつがれているような・・・。 「かわりに考えてくれる何か」に従う、というのは、実のところ楽なようでいて、人間に幸せはもたらさない気がします。
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田中勢津子さんは、去年の秋参加したあるシンポジウムで、たまたま隣同士に座った方でした。
同じ「田中」、これも何かのご縁ですね、などと言いつつ、例によってずうずうしく手帳にご連絡先を書いていただいたのでした。それからずっと音信不通状態だったのですが、今年6月に開いた個展の折、このようにして集まっていたお名前とご住所をコンピューターを使って整理することを思い立ち、一気に入力してダイレクトメールをお送りしたのでした。
梅雨曇りの日、田中さんは、大きなハチミツのビンを携えて、一度しか会っていない私の個展(鎌倉小町)に、わざわざ藤沢から来てくださいました。「商店街の福引きでこのハチミツが当たって、帰ってから、ふと冷蔵庫に貼ってあった、たなかさんのDMが目に入った・・・これはハチミツをお土産に出かけなさい、という啓示だと思いまして・・・。」
聞けば、しばらく目を患っていらしたそうで、「目を不自由して、香とか、手触りのよいものが気になり出しました。」とおっしゃいます。
「DMの写真の布が、とても肌触りがよさそうだったので。」(おおっ、これ以上の褒め言葉が他にありましょうや! 写真で手触りが伝わったなんて!)
お会いしたその夜出かけた、ある歌手のコンサートで、その歌手はオープニングにこんな歌をうたいました。
〜友達になろう、好きな花を咲かせよう、大切なこと、目には見えない〜
最近、長い間探していたある絶版本が手に入ったのは、教室の生徒さん楢村美聡子さんが、知人にかけてくれた一本の電話のお陰でした。その本の作者(活け花作家)の展覧会を見に行った直後のことでした。
ものごとは、一つ一つばらばらにようでいて、それぞれに大事な啓示がかくれている、それを意識することで示唆に富んだ大きな流れが見えてくる・・・なんてことを強く感じている今年の夏です。
寄稿・投稿・あ・ら・かると
通信に寄せられた記事の中からいくつかご紹介いたします。
「石井翁の戦後」 石田 人巳
インドネシア、スラバヤ在住の特派員、石田さんから、
この夏も大変貴重なレポート が届きました。
田中さんより、終戦記念日を迎える8月にふさわしい内容の記事を求められて、インドネシア残留元日本兵の石井正治さんにお会いした。
私が、石井さんの自宅やスラバヤ市内の日本人墓地(各地にちらばっていた元日本兵の遺体を石井さんがひとつひとつ捜しだし、火葬して骨を拾い骨壷を収めた納骨堂がある)や、シャングリラホテルでうかがった話は、石井さんの85年の人生のうちのほんのごくごく一部でしかない。
石井さんは1984年に「南から」という回想録を出版された。身に刻み込んだ記憶をもとに幼少期から老境に至るまでを克明に記された本だ。 幾度も生と死との間をさまよい、運命に翻弄されながらも、最後には自分の意思通りに人生を運んだ石井さん。過去の重みを感じさせないひょうひょうとした明るい表情に、私は人間の不思議さ、たくましさを感じた。
石井さんは1916年に札幌市に生まれ、19才で入隊。中国、カンボジア、タイ、マレー、シンガポール、スマトラを転戦。インドネシアのスマトラ(現アチェ州)で終戦を迎え、その後インドネシア独立戦争に参戦。イ独立後は無一文の人足業から身をおこし、ジャワ島スラバヤ市でサンダル工場、ゴム工場を経営するまでに。インドネシア・男性版「おしん」物語のヒーローのようである。
石井さんと懇意にされている日本語教師の方に紹介していただいて初めてお会いした時は、いきなり「また何かでっかいことをやってやろうと思ってね、今、黄金の繭をビジネスにできないか、1週間前から考えているだけれど…」と嬉々として話された。
部隊では経理官だったが、持ち前のチャレンジ精神を発揮して、物資の不足しがちな戦地で石井さんは塩、椰子石鹸、革靴、アヒルの塩蔵卵、どぶろく、味噌等など、次々と部隊内で生産することを考え出した。
戦後は、新聞広告でみたアメリカ製の三輪車を、みよう見真似でパイプを曲げて作ったほか、パイプ製品約40種、こんにゃく芋の栽培、日本への輸出等を手がけてこられた。何でも精通している人として軍だけでなく現地のインドネシア人からも信頼があった。
日本の敗戦後は、運命の悪戯から日本への引き上げ船を、椰子の木の下で左右から銃をつきつけられて見送ることになる。その後は望まざるとも日本からは脱走兵扱いをされ、インドネシアでは拉致、監禁の身となり自由を奪われた生活が約5年続いた。その間、諸事情からイ独立戦争のゲリラ戦に加わることに。この頃の回想録は、平穏な生活に慣れきった私には想像力を増強しても計り知れない部分が多い。
私は石井さんに愚かな質問をしてしまった。デジタルカメラを見せながら、これで鎌倉にパソコンを使って写真も送る旨を話し、何か思いでの品があったら撮影してもよいか、と。「何にもないよ」という返事を聞いてからしまったと思った。
戦争に負けて何もかも奪われ、日本国籍をも失ったのだった。生活が安定しないまま妻子を抱え、時には湿地に自生しているカンコンという野菜を取ってきて食したこともしばしば。「貧乏でも食うことはなんとかなるんだよこの国は。日本の貧しさと、インドネシアの貧しさとでは、貧しさが違うんだよ」という石井さんの言葉が忘れられない。
家の庭に植えた、バナナやパパイヤの木を見てもつくづく思うことがある。椰子もそうだが熱帯植物は成長が早い。こらに共通するのは枝がないこと、多産なこと。みるみるうちに新葉が出てきて、大きな葉になり、下の古い葉は剥がれ落ちる。一葉むけるごとににょきにょきと成長する。バナナもパパイヤも苗を植えてから半年くらいで実がなった。驚くほど手間要らずで、まさに太陽と雨と大地の恵みだけで果実が実る。椰子の木陰で昼寝していてもちゃんと実がなるならば、労働時間を競うより、神に感謝を捧げる時間を大切にするのもうなずける。
スラバヤから車で2時間ほどいったマランという町に、広大な軍用地が空き地のまま放置されているのを、何とか利用できないかと相談を持ちかけられているという。
そこで石井さんの夢はまたまたふくらむ。その土地にアボガドを植え、現地の農民に栽培を委託し、農業学校の学生も派遣して実習の場を与える。アボガドの葉を食する蚕を養殖し、黄金の繭の生産する…。インドネシア語、中国語にもたけた石井さんは言葉だけでなく、現地の文化、習慣にも通じている。日本は莫大な援助資金をインドネシアに投入しているが、そのお金が必要なところに有効に行き届いたかは残念ながら定かではない。
インドネシアの「村おこし」の第一人者として自他ともに認められる石井翁の出番はまだまだありそうだ。
石田さんへのメールはこちら
「カレントってなに?」 高橋 佳織 (たなか牧造形工房)
毎年、夏休みになると、海での事故のニュースが報じられ、「またか・・・」と胸が痛みます。こういう悲しい事故を少しでも減らすためにちょっとしたヒントをひとつ。
よくサーファーが、いざ、波乗りという時に、よく海を見ていますよね。それは決して「わー、海きれいっ。」などと思っているわけではなく、「カレント」を探しているのです。
「カレント」とは、浜辺に打ち寄せた波が、沖にもどる道すじ(海面下の川のようなもの)のこと。
打ち寄せた波が、一本の道になって戻るため、ここでは、陸から沖への急激な流れになっています。サーファーにとっては、このカレントに乗ってゆけば楽に沖のポイントに出られるいうわけ。
しかし、普通の人は、カレントにはまってしまうと、どんどん沖に流されてしまうとても危険なところなのです。流れに逆らって陸に戻ろうと泳いでも、悲しいかな、ムダな抵抗。
では、もし、カレントにはまってしまったらどうすればよいのでしょうか。前(陸)方向ではなく、横(浜と平行)方向に泳げば、カレントから脱出することができます。
なんということない、簡単なことなのですが、ちょっとした知識がなければ、焦ってパニックになりがちなのです。
ここは危険、というポイントさえ知っていれば、海はとても素敵な楽しいところなのです。
今度海に行ったら、是非、この「カレント」を探してみてください。
「鎌倉にプレーパークをつくろう」 稲垣麻由美(編集スタッフ)
東京世田ヶ谷の羽根木公園の一角にある「羽根木プレーパークをご存知ですか。20年前に、子どもが自由自在に遊べなくなっている現状に危機感を持った親たちの手で、日本ではじめて、行政と住民との共同でつくられた「冒険遊び場」です。
そこには、小さな赤ちゃん連れの親子から、小・中・高校生、近所の大人たち、様々な人たちが集っています。
「冒険遊び場」には、既存の遊具は何ひとつありません。子どもたちが作り出す遊びは無限大。斜面を利用して水を流し、板切れを使って即席ウォータースライダーを作ったり、木ヅチで廃材をガンガンつぶしたり。昔ながらのべい独楽、メンコに興じる子もいます。
禁止事項は一切なし。たき火もOK。工具・ナイフも自由に使えます。木の上には、中学生が建てたという小屋、秘密基地があります。広場で高校生が弾くギターに合わせてリズムをとり(?)何やら楽しそうに踊っている幼稚園児の姿も見られます。もちろん、時には取っ組み合いのケンカをすることも・・・。そんな時は、大きなお兄ちゃんが自然と仲裁に入ります。大人が「やっちゃいかん!」と言いたくなるような遊びこそ、子ども達は目を輝かせます。そんな遊びを存分にできる場所こそ、今、必要なのではないでしょうか。
また、ここには常駐のプレーリーダーが2名います。子ども達に「よう、元気か」と声をかけ、ほんとうに子ども達だけでは危機的状況になった時に助け舟を出すのが役目です。
そして何より素晴らしいのは、地域の住民が運営にかかわることで、地域の人たちの子どもを見る底上げされていくということです。遊びの中で、いろん子ども達の姿が見えてくる。そして、新たなつながりがうまれるのです。街で見かけた子ども達に、「こんなところでどうしたの「大きくなったね」と声をかけてくれるおじいちゃん、おばあちゃんがいつぱいいる関係が生まれてくるのです。
そんな「冒険遊び場」を鎌倉にも作ろう!という動きがあります。中心となって活動されているのは「山崎の谷戸を愛する会」の代表、相川 明子さんです。すでに今年から月に一度、鎌倉中央公園をフィールドに、
「一日里山冒険遊び場」を開催されています。
しかし、現実にプレーパークを開くには、土地の問題、行政との交渉、プレーリーダーの雇用など、いくつものハードルがあり、具体的な計画は何も立っていないのが現状です。
今必要なのは、そういった場所が鎌倉にも欲しい、必要だ、という住民の意識、活動を後押しする大きなウェーブです。もちろん具体的に土地を提供してくださる方、運営に関わってくださる方、たくさんの確かな一歩が大きくその流れを現実に変えるために必要ではありますが・・・。
9月3日(日)13:00〜 中央公民館にて、「山崎の谷戸を愛する会10周年記念フォーラム」が開かれます。ここでも、プレーパークについては大きく取り上げられる予定です。
ご興味をもたれた方は、是非足を運んでみてください!!
知って得する「小さなしあわせ」情報
「お料理レシピ・うなぎずし」 矢墅 ふき子 (料理家)
(2人分 材料) 米2カップ うなぎ1人分 しそ半束
半すりごま大1
合わせ酢( 酢80cc 砂糖大3 塩小2)
1/米は洗ってざるにあげる。30分ほどしてから同量の水で炊き上げる。
2/炊きあがったら、蒸らさずに、すぐに合わせ酢を全体に回しかけ、しめしをひろげて一気に団扇であおいで冷ます。粗熱がとれたらすしめしをまとめて固く絞ったぬれ布巾をかけて感想をふせぐ。
3/うなぎを半身にして、1センチ幅に切る。しそは千切りにして、さらす。(アクが多いので必ず)
4/2のすしめしに3のうなぎと水気を切ったしそ、半すりごまを混ぜる。
5/器に盛る際、うなぎのたれを回しかけていただきます。
「葉山の美味しいお店」 芳賀 愛 (たなか牧子造形工房)
★うりんぼう★
0468-75-4623 Pあり
元日影茶屋の板さんが出したお店。
お魚が美味しい。
お店は小さいので、電話してから行った方がよいでしょう。
R134を葉山大道の信号で左折。一色小学校前の信号右手。
★栄興苑★
街のラーメン屋さん
スープが絶品
チャーハンも美味しい
おばちゃんもおもしろい
Pあり
一色小学校前信号を横須賀方面に直進、
大楠山登山口信号と横須賀インターの中間、右手
「おすすめ本」 たなか 牧子
アジアの教科書に書かれた日本の戦争
東南アジア編 2625円 東アジア編 2310円 越田稜著 梨の木舎
いったい、半世紀前、日本人は、近隣諸国になにをしたのでしょう。日本の若い人が 知らないことを、アジアの若者がこんな風に知っていくのか戸思うとショックです。
殴られる妻たち〜証言・ドメスティックバイオレンス〜
780円+tax 安宅 佐知子著 洋泉社
著者は、カジュのハイスクールボランティア隊の井上結実さんのお母さま。横浜市にある女性シェルター「みずら」の相談員。そこに逃げてきた3人の女性のルポです。男女・家族のよりよい関係作りには何が必要か、何が狂っているのかを考えさせられます。
マンションの中に世界でたった一つの木の家(エコ・ハウス)を建てる
1500円+tax 麻生木綿子著 飛鳥新社
なんと、著者はカジュでもお馴染み「ぶきブキ工房」(リンク参照)のメンバー。豊かに暮らす意味を教えてもらいました。すべては工夫なのね。
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