「カジュ通信2000年春・初夏号より」
この春、カジュは3周年。ほんとうに皆様、ありがとうございました。これからも、多くの人の出会いの場になり、たくさんの"化学反応"が起きて、楽しい時間を共有できればと思います。どうぞ、3年めのカジュにも御期待くださいませ。
巻頭エッセイ
「居場所、という空間」 たなか 牧子
1965年10月、私は米国カリフォルニア州ロサンゼルス市で生まれました。そこでしばらく過ごしていれば、私にとってそこは"故郷"として認識できる場所だったのでしょうが、生後1年足らずで日本に帰って(?!)きたので、今以て私の中には、「生れ故郷」という言葉に反応できる部分がありません。
それ以降も、典型的な転勤族のサラリーマン家庭に育った私には、「場所」を意識して生きてきた実感はありませんでした。
それどころか、人との別れが悲しいとか、会えなくなって寂しいといった、基本的な感情が凍りついたまま大人になってしまった気がします。それを取り戻したのは、ごく最近のことでした。
Khaju通信も、つらつらと好きなことを好きに書き、好きに編集して、気がつけばこれが9号目になります。この春3周年を迎えるにあたり、通信のバックナンバーを100部ずつ復刻しました。創刊号の冒頭で私は、「場所を得るってすごいことです。何だってやったるわいっ、と、ふつふつと力が湧いてきます。」と書いていました。
そう、Khajuは私にとってはじめての私自身の居場所、私の人生ではじめての意識された生きる場所でした。そうした場所を得るということが、人間にどれほど大きな力を与えるかを、私は、この3年で身をもって体験しました。
そんな体験を経てみますと、今度は逆にあらゆる人があらゆる場所から閉め出されているように感じ始めたのです。今でもテレビの「ドラえもん」を見ると、のび太ゃジャイアンたちは土管の積んで ある「空き地」に集っています。でもどこを見渡してもそんな悠長な空き地は実際はどこにもない・・・。家のつくりは、セキュリティの名の元、外界との接点が極端に排された構造。ちょっと立ち寄った人がしばし歓談できる場所「縁側」も今は見かけなくなりました。公共の施設 --例えば学校や公民館、◯◯センターなども、管理の名の元、常に鍵がかけられています。「施錠」は、人に対する排斥の象徴に他なりません。
まだ首がすわるかすわらないか、というころから、だっこひもに息子をくくりつけて、私はよく近所の県立近代美術館に展覧会を見にいってますが、(今ではすっかり顔なじみです) 子連れの人にはまずお目にかかったことがない。「子どもは騒ぐから迷惑」という親側の遠慮と、館側の暗黙の「ご遠慮ください」という雰囲気(そんなつもりではないと思うけど)・・。
以前、ギリシャのアテネの美術館に行った時、館内には、子どもがたくさんいました。 紙を広げて彫刻の写生をしていたり、それはそれは自由に。別段、騒いで周りに迷惑をかけている感じではありませんでした。
何かあってはいけないから、責任問題が生じるから、迷惑だから、という一見人のことを考えたように見える理由で、私たちは自分たち自身を、そして子どもたちを、あらゆる場所から追い出していませんか。人とのよい関係を学び、自分の居場所をつくる能力を育てる機会を、お互いに奪い合ってはいないでしょうか。居心地のよい場所を人と分かち合う楽しさは、「どうすれば、この気持良さを人にも感じてもらえるか」という発想で得られるものだと思うのです。
Khajuのように、家そのものにすべてを受け入れる力がある場所では、私たち中で動く人間も、その器に習いたいと思います。知らないひと同士でも気軽に話のできる場所、外界との境界線が限り無くぼやけている場所、子どもにとっては「安全な死角」・・・そんな居心地のよさを家のつくりに学んで、みんなで育んでいけたら、と密かに思うこのごろです。そしてそこからその場所ならではの発信が、作為的にではなく、自然にできたら・・・これはもう、幸せの極み。
地方の時代などといわれる昨今、今年1月4日の朝日新聞に、作家の塩野七生さんが答えていらしたインタビュー記事がヒントをくれそうです。
「若い人は、世界のどこに行っても生活できるようになるといい。けれど、全員が世界に出ていくなんて非現実的。ローカルに徹することも価値観なんですよ。ローカルを世界につなげる、それこそが真の地方分権だと思う。」(抜粋)-----3周年に感謝をこめて。
3周年に寄せて、カジュのスタッフからのこれからの抱負
「娘も3才に・・・」 波多 圭以子(Andante Piano Studio)
カジュができた時3ヶ月だった娘が3才になり、成長した姿を見ながらカジュも大きくなったなぁ、とつくづく思います。この家を訪れる人々に新しい生命を吹き込まれているからでしょう。先日ここを訪れた弟が言いました。「こんなステキな所でレッスンしているとは知らなかった。こういう所でピアノが弾けるなんて幸せだね」と。 実際、生徒達は、レッスンもさることながら、この家にくるのが楽しみのようです。アンダンテ・ピアノ・ストゥーディオは、この3年で人数も増え、昨年は発表会も開催することができました。 時間もエネルギーも費やすことですが、2年に1度ぐらいのペースでできたらよいな、と思っています。秋の音楽会も恒例になりましたので、こちらも楽しい企画で続けていけたら・・・と思います。 ピアノは、メロディも伴奏も弾けて、ひとりで楽しめる楽器ですが、他の楽器と合奏することで、もっと世界が広がります。私もトリオを組んで演奏していた時、本当に楽しかったです。普段はなかなかできませんが、夏休みなどのに、合奏クラスをやってみたいと思います。夏のワークショップのようにするのもよいかしら。 まだ漠然としていますが、是非、やりたいです!!
「コト、鎌倉にて」 馬場 信子(琴薫信会)
コト鎌倉。カジュと出会つて、はや、3年が経ちました。 本当に、多くの出会いをさせていただいたことを感謝しております。 カジュはいつもOPENで、At home な雰囲気。古きを大切にしながら現代に生きるカジュのように、お琴の教室も、いにしえの心を大切にしながら、2000年代の新しい、楽しい教室をめざそうと思います。 未来の方たちがコトを振り返るとき、「あっ、こんなところがあったんだ・・・。」と、言っていただけますように。
「四畳半の玄関」 波多 周(波多 周建築設計)
カジュの玄関は四畳半あります。 最近の子ども部屋と同じぐらいの広さです。 そして、バリアフリーの名の元、ほとんど段差がなくなってゆく玄関に対して、ここでははっきりと段差があります。 この段差は何のためにあるのでしょう。座って靴を脱ぐのにちょうどよい?・・・実は、はじめてお会いする時、お送りする時にちょうどよいのです。土間に立たれた方と、廊下側に立つ者との間には、目線にかなりの高低差が生じます。この高低差によって、廊下側に立つ者は、自然と床に膝をつけたくなるのです。 人をお迎えする、お送りする時、とても和やかな雰囲気が生まれます。 四畳半の大らかさがそれを支えていてくれます。 こういう些細なことから、大切な何かが見つかる・・・・・・・ そんな気がしています。
「創世記は終わり・・・」 たなか牧子(たなか 牧子造形工房)
今までは、家そのもののお手入れにずいぶんエネルギーが要りましたが、それも最近では大分落ち着き、庭の雑草も以前のような迫りくる勢いはなくなってきました。「創世記」は終わり、これからは「円熟期」でしょうか。私としては、ここを大きくしようとか、有名に、とか、そんな思いはさらさらないのですが、より、地域密着型の、ユニークで真似事でないものを発信していけたら、と思っています。 例えば、定期的に講演会をする、子連れでOKのコンサート企画、普段見られない自主映画の上映会・・・などなど。 また、インターネット上に研究発表の場や、文化交流、討論の場などもつくってみたいなぁ。 工房としては、手仕事のよさを残しつつ、半量産体制の制作部を立ち上げられたら、と思っています。
3周年に寄せて
今まで関わってくださったクリエーターからのメッセージ
「3周年おめでとうございます。」 世古真一
seko@highway.ne.jp
1999年2月6日土曜日・14:00 カジュ・アートスペースの空間に初めて入りました。 このスペースで三味線をならっていた友達が私にどうしてもここを紹介したいと教えてくれ、直感的にこんな感じのところだろうと思ったので、楽しみにして来ましたが、思ったとおりのスペースでした。 古い屋敷に命を吹き込み、人間の深い思いとデザインの本質を表現されていて、壁に張ってあるポスターや、カードを見て、楽しそうな人が集まってくるところなんだろうな・・とすぐに感じました。 まきこさんとは織物はもとより、びんひろいの話がわくわくしました。 (註:たなかは、よく材木座海岸で朝、拾い物をする妙な趣味があるのです。いろんなものが拾えますが、たなかのテーマはビン。それも手のひらサイズの薬ビンです。戦前のものなど拾えます。たなか) こんな生き方、多くの人に知ってもらいたいとも思いました。 話ははずみ、その夏、私が研究している「かたづけ学講座」を開催させていただきました。 汗をかきかき、物だけでない人生のかたづけをしてしまい参加者の皆さんからは、好評でした。 味をしめて、今年の夏も、開催します。 みわたす手帖を使い、人生120年をみわたし、自分の人生をかたづける場所をつくってから、人生のシェイプアップを始めます。 8月25日。また新しいカジュでの出会いを楽しみにしています。 かたづけ学講座は、生活をみわたす環境をみずからつくり、落ち着いて過ごす時間を作る技術です。 探したり、迷ったり、悩んだりする時間を減らします。そして、過去を価値あるものにして、未来を楽しむために今のうちにやっておくことを簡単にすます技術が身につきます。 心を少しづつ建築していくような、達成感を味わうことができる・・・ そんな講座です。
(研修企画会社ファイルティーチャー代表、 '99カジュ夏のワークショップ講師)
「北の国へ行こう」 陣内 雄
jinnn@d2.dion.ne.jp
ようやく北海道にも春がやってきました。まだ雪の降る日もありますが、積もった雪は日に日にとけています。 まだ山菜一番乗りの「エゾリュウ キンカ」は小さく、出たばっかりだけど、もうすぐ山の緑を味わうことが できます。鎌倉はもう桜は散ったころでしょうか? またカジュでおいしいものを食べながら、酒をのんで話しに花をさかせたいところですが、ちょっと遠いところにいるもので、残念だけどまたの機会に。 おかげさまで、去年つくったCDは、もとをとることができました。2枚目にはなかなか取りかかれませんが、1〜2年のうちには作るつもりです。 またライブをやらせて下さい。 今は、4月からもどった下川町森林組合で、「北海道の森の香り」商品の開発プロジェクトを担当しています。短期 決戦なので、忙しい。6月くらいにはテスト商品ができるかも!? わらのスタジオも (註:陣内さんは、わらでお家を手作りしてます。たなか)仕上げなきゃならないし、薪割りも山菜とりもあるし、、、、 いろんな成果をお見せできればいいなと思っています。 カジュのみなさんの活動をみるにつけ、負けていられない、と思います。 沢山たのしいことしたいよね。 それではまた、5月には、また下川町に引っ越します。 暇をみて、下川通信(という個人通信)もお送りしたいと思います。 それではお元気で、カジュ通信も楽しみにしています。
Taki Jinnouchi(シンガーソングライター、'97秋の音楽会ゲスト)
「場のパワーについて思うこと」 野村あずさ
az-912@bj8.so-net.ne.jp
だんだんと場所そのものの力が弱くなり、根のない空間も多く存在する現在・・・。ここカジュは、めぐり囲む暮らしに溶け込み、カジュをつくった人々の意志の調和する場であり、そして、カジュをつくる全ての人々が、ここに関わることから生じる特有の深いアイデンティティをもつていると感じます。 カジュがなぜ生き生きとしているのか? それはここが私達の創造・経験・記憶・夢の集まるとても豊かな場所であるからに他なりません。 カジュという場の力が、これからもずっと私達の力となるために、この場所をいかに守ってゆくか・・・その方法と初心を見失うことのないよう望んでいます。
(染色家 '99 クリスマス9人展、'99 カジュ祭参加)
「線引きもんだい」 井上 智陽
ino-chi@qg7.so-net.ne.jp
もめごと、争いごとのあるところに必ず「線引き問題」がある。 自分のエリアはこの線のこちら側だ! と主張する人がいる。 自分で線引きしてるのに、意識していない人もいる。どこに線を引くかで、線のあちらとこちらで争いが起こってしまうワケだ。 見渡すと、世の中、線だらけ。線の数だけ問題も起きている・・・!? 自分のキモチにも、線を1本引くと、なやみもひとつ増える。 線を引かない美術教室をやってみたい、そんなキモチがウズウズしてきました。ここまでがアートでここまでがゴミで・・・そういう線は もう引かない。問題を起こしている線を美しく消すための実験を行う。 ・・・などなど、ゴールラインもひかない!! ・・・?じゃぁ、スタートラインは???
(イラストライター、カジュ通信コラムニスト)
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