「カジュ通信2000年新春号より」



 いよいよ2000年開幕!!みなさま、おめでとうございます。にぎにぎしい、お正月の鎌倉より、ご挨拶代わりの通信です。幸せに満ちた一年でありますように。



巻頭エッセイ たなか 牧子

                
 20世紀も今年一年で終わろうか、というご時世に、ごていねいにも「はたおり」で生計をたてる決心をした私。
 そんな私が半ば仕方なく、よせばいいのにコンピューターをはじめました。カジュに関する事務仕事が少しでも効率よく回っていけば、と思ったからです。(甘かった)
 それからというもの、今まで自分の思考の範疇になかったものが急に気になり出しました。例えば、電気店に行ったときなど、今まで見向きもしなかったコンピューターソフトの棚に足がとまるようなことがあったり。実にいろいろなものがあり、買うともなしにいくつかてにとることも。
 その中に、「家庭の雑事全部引き受けます」的なものが随分ありました。家計簿はもちろん、料理レシピの整理、年賀状や町内行事のチラシ作りもお任せ、というシロモノ。カードや各種チラシは、いくつかのレイアウト・パターンから好きなものを選んで「オリジナル」の「作品」が作れるふれこみです。
 ・・・あれ?あてがてぶちの選択肢の中から好きなものを選んだだけでオリジナル?そこにある選択肢ではどうにも表現できない感性の行き場はどこにあるのでしょう。
 限られた時間を有効に使うために生まれたデジタル化の波に弄ばれるうちに、私たちはデジタル化してはいけないものまで手放してしまったようです。デジタル思考は、モノとモノ、事と事の間にある余白「行間」を塗りつぶす思考に他なりません。世間を震撼させた一連のオウム真理教の事件にしても、ほんとうに問い直されるべきは、あれだけの優秀な頭脳と技術をもった人たちを生かしきらなかった、今の日本社会の「行間のなさ」ではないでしょうか。
 この行間こそが人が人でいるための大切な空間なのではないでしょうか。その空間に想像力の出番はあるわけで、そして人は、想像力をかき立てられるものに魅了されるのだと思うのです。
 様々なシーンでうまれるこの行間を、美意識とか、遊び心とか、心意気といったもので埋めていけたらなぁ、などということを思うこのごろです。
 知らず知らずのうちに今私たちは、暗い大きな影を育ててしまってはいないでしょうか。その影につき動かされ、操られてはいないでしょうか。
 耳をすますとこんな囁きが聞こえるようです。
 〜「次の中から、あなたの人生をお選びください。」〜

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 「仕事」って一体何なのでしょう。
 好きなことを仕事にしてしまうと、仕事とそうでないものの境界線がどんどんなくなって、定義するのはとても難しくなります。読んだ本のことば、観た映画のワンシーンのセリフ、友人との会話の中に見つけたものなどが仕事に大きな影響をもたらすので、どれも蔑ろにはできないワケです。(・・・と、遊んでることの言い訳をしたりなんかして)
 うちにある、古い三省堂の広辞林で「仕事」を引いてみると、4つの意味が書かれていました。(何かにつけ辞書を引くクセがついたのは高校の恩師、島田圭子先生の影響によるもの)
 1、すること・するわざ・しわざ・いとなみ、
 2、職業・職務、
 3、(理)物体に力が作用して移動したとき、この力の大きさと物体が移
   動した距離の積--------(後略)------と、続きます。
 現代日本では、明らかに「2、職業・職務」の意味が幅をきかせていると思います。
 数年前に、私に「アンペイドワーク」という言葉を教えてくれたのは、藤沢で10年地域情報誌「ゆめこびと」を主宰している清水正江さんでした。家事・地域活動・ボランティア活動・などの産業化していない仕事を総称してこう呼ぶそうです。
 高度経済成長期を経て、こうしたアンペイド(無報酬)ワークは、いわゆる産業化した仕事に比べて低く見られる傾向が定着してしまいました。「稼ぐ仕事」が一番大事な仕事というわけ。食事を作る、子どもの話を聞く、学校行事に参加する、大切な人に手紙を書く、住むところを居心地よくする、地域社会を快適にする・・・そういう活動は産業化していないというだけで、価値のないものなのでしょうか。いえ、果たして、産業化してよいものなのでしょうか。
 品川で公立保育園の保育士をなさっている井上洋子さんは、「歩く凶器のような子がいる」ことを憂いています。凶器と化してまでその子が訴えていることは、産業化した仕事にのみ邁進するような大人の「しわざ」に対する痛烈な批判のような気がしてなりません。
 忘れてならないのは、こうして拝金主義的に産業化した仕事で得たお金で、アンペイドワークにくくられる様々な仕事で得られるものが、何一つ買えないということ。
 21世紀の「仕事」の有り様を考える時です。ちなみに、辞書に出ていた「仕事」の4番目の意味は・・・4、はりしごと、裁縫。



寄稿・投稿・あ・ら・かると




    「ぶきブキ工房の戯れ言〜なぜ木のおもちゃなのか〜」

          犬塚 純子(ぶきブキ工房)

    
 さて、数年前の話です。おもちゃ屋の友人が「うちの子ってお店のおもちゃでは、ちっとも遊ばないのよね」とため息混じりに話していました。確かに子どもたちを見ていると、時にお店のすばらしいおもちゃより、やかんやお玉、なべのフタ、はたまたミカンの皮の方が好きだったりします。それが良い、とても良い・・・・と私は思っています。
 しかし、ふだんの生活の中で、いつも子どもたちにそのようなモノを使われて、見当たらなくなって困るのも事実で、どこかで「大人のもの」と「子どものもの」という線引きをすることになります。そしてその「子どものもの」というのがおもちゃ・・・となるのでしょう。
 私たちは木のおもちゃを作り、通信販売しています。「なぜ木なのか・・・」というと、国内産の間伐材を使ってみたかった、電動糸ノコと紙やすり、そして時間と握力があれば女性にでも扱えそうで、自分で造ってみたかった、などの本当に単純な理由によるものです。
 それではどうしておもちゃ作りなのか−それは、長男が1歳のときのことです。遊んでいたプラスチックの積み木のガラガラと壊れるときの音がうるさくて、都内の住宅がひしめきあう築〇〇年の木造モルタルの狭いアパートではご近所迷惑だな、と思ったのが始まり。かといって、ドイツ製やカナダ製のものすごく高額な木のおもちゃなんて買えないし、たとえ買ったところで、そんな立派なもの、もったいなくって、とても子どもに自由に使わせられそうにもない。(ああ、庶民!)ならば「よ〜し、お母さんが作ったろう!!」という単純極まりない発想からでした。
 それから神奈川に移り、無垢の木でおもちゃ作りを始めて1年後のことです。探し求めていたすてきな塗装屋さんに出会い、研修を受けました。その塗料とはナチュレオイルとミツロウワックス。ナチュレオイルは亜麻仁油、桐油、ヒマシ油等樹液をブレンドした塗料、そしてミツロウワックスはミツバチの巣が原料です。これを丁寧に塗って普通に使えば「木の育った年数以上に使えます」とのことでした。
 もちろん、子どもは成長しますので、おもちゃとしての使用ではそうはいかないでしょうが、「せっかく大切な樹を切って作ったんですから、少しでも長持ちするように、そして使う人が気持ち良くなるように作るべきです!そうでないと樹がかわいそうだ」という、この塗装屋さんの樹や樹液に対する熱い想いの言葉を聞き、なんだか興奮して家に帰りました
 主婦の目、母の目、作り手の目・・・そうしてたどり着いたコンセプトは子どもが自分の豊かな創造力に任せて好きなように遊べて、壊れにくく、長持ちするあたたかいおもちゃ。普通の主婦として価格に納得がいって気楽に与えられる手作りおもちゃ。これが私たちぶきブキ工房のおもちゃでありたいのです。
 それから五年。いつも無我夢中、試行錯誤の連続でもの作りをしています。その間、東京で一番若い箸職人さんと出会い、本格的な自然派のお箸を作ったり、オーガニックコットンを使用した生理用ナプキンも作るようになりました。意外なまでに反響をいただき、全国からいただく注文に正直驚いています。
 でも、どの商品もしっかりとした「母親、そして生活者の視点」から生まれたもの。−こだわりをもってあたたかい商品を作る工房−いつでも、この言葉に正直に頑張っていきたいと考えています。

 この度、ご縁があって Khaju 通信に原稿を寄せさせていただいきました。鎌倉にある通販専門の小さな工房です。
 今後ともよろしくお願いします。



「Sama sama  スラバヤ便り」  石田 人巳

インドネシア、スラバヤ在住の特派員、石田さんからの
レポートです。   


  長男はスラバヤ・インターナショナルスクールの幼稚園に通っている。二年前にこの国で起こった暴動騒動のあと、外国人の数が激減したことから、生徒数も半減してしまったが、多国籍集団であることは変わらない。息子が仲良くしてもらっている子はインド人とベルギー人の男の子だ。国籍が違っても、5才の男の子がやりそうなことはさほど違いはなく、ギャングごっこや、パワーレンジャーごっこでもりあがったりする。好きな食べ物もミーゴレン(やきそば)、ナシゴレン(焼き飯)、フレンチフライと相場は決っている。ただしベジタリアンのインドの子には肉抜きで。
 11月。からっからに空気も土地も乾く乾季が終わり、雨、雨、雨の雨季がやってきた。ほとんど毎日雨が降る。午前中は真っ青な青空と秋風のようなそよ風がふいていたとしても、お昼ごろから風向きが急変し、当り一面真っ暗になって灰色の雨雲からザザーと雨が降ってくる。時にはバンジールと呼ばれる洪水も巻き起こす。道路は川のようになり、車高の低い車なら完全にタイヤは水に沈む。大雨のある日、家に戻ると、うちのメイドちゃんが「家がバンジールです」と言う。えー床上浸水だあ。どうやら家の構造上、縁の下というものがないので、庭に溜まった雨水が床下に行き、壁と床の間から雨水がブチュブチュとふきだしているということらしい。まいったまいった。
 乾季は、太陽が憎らしいほど地上を焼き尽くし、雨季は雨季で度を越えた大雨に当られる。ここではほどほどっていう季節がない。
 12月。プアサ(断食)が始まった。断食はイスラム暦で行われるので,毎年10日ほどずれる。たまたま今年は断食の月とクリスマスの月が重なってしまった。ジャパンクラブの未就園児のためのサークルでも、クリスマス会が行われたが、メンバーの中にはインドネシア人の母親も数人いる。彼女たちは子供たちの楽しみをそこねないようにという配慮から、終始笑顔で、一品持ちよりのパーティーに参加してくれた。水一滴も飲めないのだから辛いはずだ。けれど彼女たちは苦行をしているというそぶりを全く見せなかった。Mさんにプアサのことを聞いてみた。彼女の場合、10歳くらいから始めたと言う。特に決められた年齢はないらしい。両親は決して強制しなかったという。だから彼女自身、両親が断食する姿を見て、その意味を自分で汲み取り、そして自ら進んで始めたのが10歳という年齢だったということだ。
 一方、息子の学校はクリスマス一色。いやクリスマスカラーは赤、緑、白、だから12月は3色に染まった。ベルギー人のママからお菓子をいただいた。「家の子達に、分かち合うことを教えたいから」という理由で。断食もいってみれば個人的な修行というより、共同体のなかで苦しみを分かち合う行為だともいえる。病気などの理由で断食できない人は、寺院に米を寄付し、その米は貧しい人々に配られる。
 振り返って私は何かを誰かとわかちあっているかしら、とふと考えさせられた月だった。
 
タイトルのSama samaは、ありがとうの返事としてサマサマといいます。サマだけなら「同じ」という意味です。二度繰り返すと、どういたしまして、というような意味になります。まるで日本語でお互いサマ、といっているようで私の好きなインドネシア語の一つです。

          石田さんへのメールはこちら



「年の始めに」  波多 周(波多 周建築設計)

 見かけ倒しの豊かさ、目標をみえにくくしている。最近そう思うことがあります。
 あまり、深く考えなくてもとりあえず生きてゆける。
 でも、もう一歩先を考えると、もっと色々なことが見えてきてほんとうの意味豊かになれるのではないでしょうか。
 例えば家が欲しいから家が欲しいのではなくて、家族や自分がより快適に暮らしてゆきたいから家が欲しいのです。
 どうやって暮らしてゆきたいのか、考え、思う時間をもっと大切にしたいものです。ボーとしている時間も何かを育んでくれます。
 そんなヒマはないと叱られるかもしれませんが急いだとしても全てを行える訳ではないのです。そもそも行なわなければいけない事って何ですか?よく考えてみなければわかりません。
 建築には本来全て意味があります。屋根は家を雨から守り、軒や庇は外壁や窓を守ります。玄関ドアの開き勝手一つで人の出会いを変えてしまうこともあります。意味を考えてつくれば欠陥住宅なんて自然となくなります。
 意味を考えて生きてゆきませう。いやみにならないように・・・。



「ハーブとアロマテラピーでボディケア」木田順子(J's herb school)

 いつもの年より少し賑やかだった年末年始も過ぎ、またいつもの日々が戻って来たこの頃。それにしても、冬とは思えないような暖かな日が多いのが少し気になるところです。
 さて、”いつもと違う”ということは、私たちの心や身体に、良くも悪くも何らかの影響を与えます。今回はこの”いつもと違う”が心や身体に負担となった時に役立つ、ハーブとアロマテラピーをご紹介したいと思います。
 まず、ついついいつもより食べ過ぎて、、、こんな時は消化を助けてくれるペパーミントティーがお薦めです。食後に飲むと胃がスッキリします。また、糖分を摂り過ぎてしまったという方はマルベリーティー(桑の
葉)を食前や食中にどうぞ。
 アロマテラピーは健康維持や増進に大いに役に立ってくれます。”いつもより寒い””いつもより疲れた”という時は風邪をひきがちです。ユーカリの精油を使ったバスソルトをお風呂に入れたり、スプレーをつくってお部屋の空気をきれいにしましょう。また、心が疲れた時は、ネロリやオレンジなどの精油をがお薦めです。
 ハーブやアロマテラピーは自然で心地よい暮らしを届けてくれます。一度お試し下さい。
(レシピをご希望の方はお名前とご連絡先をご記入の上、
fax:5374-2580までお送り下さい。また、精油の使用にあたっては、注意点を専門家や書籍で必ず確認して下さい。)
                      (アロマテラピー講師) 



  「震災から5年、故郷の神戸の街の様子をお伝えします。」
                  稲垣 麻由美(編集スタッフ)


神戸の街は、見事に復興を成し遂げ、仮説住宅が数多くあった跡地も、きれいに整備され、高層ビル・高層マンションが立ち並ぶ街にもどっています。
 街ゆく人々も"ファッションの街"だけあって、色使いの美しい個性的な装いが目立ち、表情も明るく見えます。以前の神戸を知らなければ「ここがほんとうに地震があった街なのだろうか」と思う事でしょう。
 でも、一歩裏側から街を見ると、以前とは全然ちがうのです。住む人の歴史、個性が強く感じられた家並みは今は無く、茶色かグレーの壁をしたプレハブ形式というのでしょうか、同じような家ばかりが何処へ行っても立ち並んでいます。震災で家を失った人々が、とりあえず最も早く建てられるものを選んだからです。これはもちろん仕方がないことで当然のことなのですが、その地域ならではの雰囲気が無くなり、均一化してしまったのはとても寂しいことです。
 私は震災時、福岡におりましたので、あの揺れは体験していません。両親を含め、祖父母・親戚・友人のほとんどは神戸におりますので、震災のことを知った朝は、テレビの前でただ、ただ、震えておろおろするばかりでした。丸一日、両親が生きているか、死んでいるかさえも、連絡がとれず分かりませんでした。結果として、両親は無事で、家も残りましたが、祖父母・親戚の家は全壊、大切な友人も含め、幾人かの知人が亡くなりました。一時は実家の3LDKに10人が身を寄せていました。母は今でも揺れが恐くて飛行機に乗れません。とにかく水の確保が大変で、暫くの間は、川で洗濯をしていたそうです。
 友人は、5階立建ての新築マンションに住んでいて、あの揺れで3階から上が吹っ飛び、4階に住んでいた彼女は亡くなりました。彼女は妊娠10ヵ月。ご主人といっしょだったことがまだ、せめてもの救いだったと彼女のお母様はおっしゃっています。父は地元企業に、今も現役で勤めていますが、不景気も相まって経営状況は厳しさを増すばかりだそうで、復興の名のもと、上物はできても人工が激減した街では、商売が成り立たず、失業率は近畿圏内の中でだんとつに高いのが現状です。
 それにしても気になるのは、阪神間と他の地域との震災に関する意識の温度差です。神戸の地元紙では、今も震災関連の記事が一面のどこかに必ず載っています。震災5年の追悼セレモニーなどの行事は、17日前後に阪神間で80件も予定されています。
私たちの住む地域はいつ地震が来ても不思議ではないところ。もっと熱い眼差しで被災地を見つめるべきではないでしょうか。
 最後に、被災者からの体験をもとにしたアドバイスを書いて終わりたいと思います。
 1. 枕元には必ず、懐中電灯、スリッパを置いておくこと。(スリッパ
   はガラスが飛び散った室内を移動するのに便利。)
 2. 風呂の残り湯はできるだけ置いておくこと。(水はすぐとまる。ト
   イレに流す水の確保さえも困難なのが現実。)
 3. 自分の寝ている場所は安全か、倒れてくるものはないか、今一度
   確認。
 4. 人生、一歩先のことほんとうにはわからない。日々、後悔のない
   生き方を。(だそうです。)

          稲垣さんへのメ−ルはこちら 




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