「カジュ通信2001年新春号より」

21世紀になりました。だからどうということではありませんが、
20世紀までの古い考えやくだらないと思いつつも続いてきた因習とおさらば
するビッグ・チャンスです。古きを温ずねつつ、小さくても何か新しい提案ができたら
と思います。カジュからみなさまに新春のごあいさつです。
             


巻頭エッセイ

たなか 牧子

     願わくば、花のもとにて春死なん その如月のもちづきのころ
               西行法師


「牧子様、現在は、昭和60年7月4日、木曜日です。この葉書は16年後に配達されることになっています。そのとき、あなたは35、6歳になっていますね。結婚して、子どもが2人ぐらいいるかな? それとも織物の大家として名をなしているかな? おじいちゃん、おばあちゃんは天国から皆さんの幸福を願っています・・・。」
 こんなハガキが今年の元旦に届きました。
 筑波の化万博の折、祖母が郵政省のポストカプセルに入れたハガキが、2001年1月1日に配達されたというわけです。祖母はこのハガキを書いた3年後に他界しましたので、なんだか、彼岸から届いた手紙のようで、不思議に心に染みました。祖母の願いも虚しく、仕事はそこそこ順調なれど子ども1人、独身。ごめんね、おばあちゃん。
 
 ふと、このハガを見ながら、ひと昔前まではもっと死んだ人を身近に感じながら生きていたのではないかしら、と思いました。毎日仏壇に手を合わせて、その日あったうれしいこと、悲しいことを報告し、お盆になれば死んだ人が帰ってくるから、と親戚一同休みをとって集まってお出迎えしてみたり。・・・もしかすると、死んでいるということと、生きているということは、私たちが思うほど大した違いはないのかもしれませんね。

 今では日本でも、お誕生日をお祝いする習慣が定着していますが、戦前までは、その年の正月でみな年を取る、という「かぞえ年」の考え方が一般的でしたから、「誕生日」は特別大事な日、というわけではなかったようです。むしろ、これを忘れたら人間性を疑われる、というほど大切だったのが、その名も「命日」(いのちの日ときたもんだ)、つまりその人が死んだ日。ごていねいに、1ヶ月ごとに月命日というのまであるのですから気合いが入っています。
 聞くところによりますと、文明の始まりは死者を葬ることだったといいますから、死に方、見送り方を考えるというのは、実は、生きることそのものを考えることに通じるような気がします。そして、死者とともに生きるという意味をも問うているように思います。

 最近、「生まれる」ということは、何か大きなエネルギーの一部に、形が与えられることなんだなぁ、と感じます。
 その形を通して、さらに新しいエネルギーを放出したり、形同士で共鳴したり、反発したり、合わさったり、分裂したりして、いわゆる「この世の営み」が行なわれている。その形が使えなくなったら、その形を捨てて(返して)、また元のエネルギー体に戻っていく・・・。生きるとか死ぬとかいうことは、そのくり返しなのではないでしょうか。
 そして、形あるものは、形のないものにいろんな影響を与えられているのだと思います。また、形あるものの仕業は、これから形を与えられるものに良くも悪くも大きな影響を与えてしまうのだとも思います。
 そのエネルギーを司る法則のようなものを、「神」と呼んでもよいのなら、私にとって、その大きなエネルギーの存在を意識したり、その動きを想像したり、その法則を読み解こうとしたりすることは、「神との対話」ということになるでしょうか。

 エネルギーを発しなくなった肉体(形)の後始末にはいろいろありますが、私はあまりお墓に入りたいとは思いません。もっと自由な始末の方法はないものかと考えていたら、両親も同じこと考えていて、「葬送の自由をすすめる会」なるものに入り、どうやら散骨を考えているようです。私が撒くのでしょうね、その場合。
 また、エコロジーの時代ですから、使えるものは捨てない方がよいと思いますので、死んだ後の肉体のパーツは、誰かのお役に立つのならお譲りしてもいいと思っています。ただ、現代に蔓延する「悪いところは切り取ってしまえ、あたらしいものと挿げ替えてしまえ」といった西洋医学の外科的考え方には根本的に抵抗を感じるので、ま、とりあえず、「色彩の世界の楽しさを人に伝える仕事をしていた私からのメッセージ」ということで、アイバンクに角膜の登録だけ行なうことにして、手続きをはじめました。(しかし、宇宙船が行き来する時代なのに、目の薄い膜ぐらい簡単に人工で作れそうだけど、これを読んでくださっているその分野の方、いかがですか)

 もう死んでしまった人や、これから生まれてくる人たちといっしょに大きなエネルギーを意識しながら生きていく。そんなスパンで日々過ごしたいと思います。
 西行さんは、桜の花の下で死にたいとおっしゃっていますが、私は、5月の新緑のころ、「自分という形を通して行なったことが、次のものに何かを伝えた」という実感を胸に、川の音を聞きながら、ブナの原生林かなんかで死ねたら、そして、撒かれたホネが森のこやしになったら最高だな
あ、なんて思います。 祝・新世紀。


          葬送の自由をすすめる会

    東京歯科大学市川総合病院・角膜センター・アイバンク




寄稿・投稿・あ・ら・かると

通信に寄せられた記事の中からいくつかご紹介いたします。

 



「年末、スラバヤ・スケッチ」  石田 人巳

インドネシア、スラバヤ在住の特派員、石田さんから
スラバヤの師走の様子を伝える記事がとどきました。
                                

 平均気温31度の南国では、どうもクリスマスもお正月も気分がのらない。けれど師走の気ぜわしさは、スラバヤでも同じように味わった。というのも、ハリラヤ(断食明けの大祭)と、年末が重なったため、運転手さんもメイドさんも田舎へ里帰りしてしまって久しぶりに家事をしたからだ。なんだか、おしかりをうけそうな発言。
でも、自慢じゃないけど、こちらの家は鎌倉の家の3倍、いや4倍も広く、一日じゅう家のなかをかけまわっているだけで3日目の朝には足が痛くなってしまった。
 また、全てのドアは編み戸がはめ込まれ、それにもカギがついているので、開けるのも閉めるのも2重の手間がかかる。出掛ける時はメインベッドルームのカギ、出入り口のカギ、ガレージのカギ、車で門から出たら最後に、車から降りて鉄の門のカギをしめなくてはならない。
 だから近頃は自分の家のドアひとつにカギを閉めたらあとはセキュ
リティにおまかせできるアパートメント(マンション)に住む日本人も多くなった。

 12月31日、大晦日。2001年の幕開けを仲間とともに祝うため、スラバヤの中心街に集まった若者たち。たいてい彼らはバイクに相乗りし、蛙のつぶれた声のような音がでる紙ラッパを持っている。〇時を過ぎた頃、ダウンタウンのメインストリートにはバイク集団のアクロバットが出現。車内から眺めた黒い影は、暗めの街灯にぼんやり浮かびながらも、すごい迫力で通りすぎて行った。
 一方、中華系インドネシア人や外国人が多くすむ自宅付近の住宅街はひっそり静まり返って、ひそやかに新年を迎えていた。
 こちらに来てから常々、家のお手伝いさんも年頃なんだからいつ結婚してもおかしくないな、と内心思っていたのだが、去年の12月に2人のうち1人の結婚が決まった。
 家のメイドは、前任者から引き継いだ働きものの姉妹で、スラバヤ市から車で6時間ほど離れた田舎の出身だ。父親を早く失い、実家には祖母と母と昨年中学(?)を卒業した弟が、野菜を作ったりして細々と暮らしているらしい。この姉28才、妹21才の間にもう一人メイドをしている妹がいる。
 運転手の話しによると、この姉妹3人は実家の家を新築するために、都会に住みこみのメイドとして働きに出てきており、3人の稼ぎをあわせて、ある程度資金がたまると、その分だけ建築工事を進めて、去年やっと木造の粗末な家からレンガ作りの水道、電気も使える家がほぼ完成したということだ。
 家の普請はインドネシアでも一生に一度の大仕事。それを成し遂げて、晴れて妹から先に結婚ということになった。
 まずは年明けにカントールアガマ(宗教別の役所)に婚姻届を提出、披露宴は5月におこなわれる。願わくば、主従の関係を越えてというか、結局は何でも見てみたいというツーリスト気分が2年たっても抜けないだけだけれど、ジャワ島の農村の結婚式を見てみたいなあと密かに実行計画を練りつつあるところだ。

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「小さくていいもの。」  波多 周
  

 一昨年から設計を進めていたお花屋さんの建替えが昨年末完成し、オープンしました。
私がこの仕事で最も大切にしたかったのは、単に建替えてきれいに便利になるだけではなく 街並みに参加するということです。
 歩道を歩く人に圧迫感を与えないことは勿論、行く人の心落ち着く場所にした、決して浮きあがることなく存在したい、と考えました。
 一階前面には店内や上階へ行く人の流れを滑らかにするためのテラスがあります。 季節が良くなったら椅子とテーブルを置いて文字どおりテラスとして機能します。
 階段には三つの役割があります。上階へ上がるため、一階店舗の商品であるお花を西日から守る ためと通りを眺める装置であることです。
 目線の高さが変る楽しみ。お正月の交通規制で普段通らない道をバスが走る、その変化する景色に 意外な面白さを感じたことはありませんか。
 この階段でも視界の変化を楽しんでみたい、閉じられた内側から上がってゆくと踊場で視線が広がる、通りを眺める装置にしたい、と考えたのです。
 引渡し後施主は「使いはじめて毎日発見がある。何を考えて設計してくれたかが解る」と言ってくださいました。私にとって最高の喜びです。
 建築家冥利に尽きる、というところでしょうか。

           設計期間 1999.6.〜2000.3.
             施工期間 2000.3.〜2000.12.

           工事名   ケンフロリスト新築工事
           所在地   鎌倉市雪ノ下3丁目8-34
       「カジュから歩いて五分、是非実物を見てください。」

             写真1   写真2   写真3



         一級建築士事務所波多周建築設計
        〒248-0004鎌倉市西御門2-15-6
         電話0467−25−6176
         ファクス0467−25−6172

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     「鎌倉のつる風に思う・・・」  島津克代子


 東京の喧噪を逃れ、材木座に引っ越して2年。海風に吹かれて平穏に暮らしていた我が家に、ある日突然一陣の風が・・。        

 “つる風”と呼ばれるその風は、鎌倉・二階堂を発信地とし、強力な吸引力で相手を巻き込み、取り込んでしまう・・との被害報告が湘南を中心に相次いでいると知ったのは、時すでに遅し。我が家もしっかり巻き込まれ、取り込まれて、今日に至っております。
 事の始めは、去年の4月。山のような資料を手に、“つる風”の正体・たなか牧子が我が家を訪れたのです。いわく、「カジュのホームページを作りたい。」
 ・・申し遅れましたが、我が家はITコンサルティング兼マルチメディア制作のようなことを生業にしておりまして、いわゆるプロです。わがダンナは申しました。「ざっと見積もったら100万円かかる」「そこをひとつ・・」という話になり、当時鎌倉に知人も少なかった我々は、カジュに参加するアーティストのユニークな顔ぶれに惹かれて、こういう方々とお知り合いになれるのであれば、とホームページづくりを無償でお引き受けしたのです。(あ、牧子お手製の織物プレゼントつき。ただし未納。)
 間もなくホームページは完成。我が家のサーバにおいて、無事公開。カジュの雰囲気をよく伝えていると評判も上々で「よかったよかった」。ところが! そこでとどまらないのが牧子のパワー。ホームページでこんなことしたい、あんなことしたい、と新企画が出るわ出るわ。「ちょっと待って。それ、誰がやるの?」「勉強して私がやります」「え?どうやって勉強するの?」「教えて下さい」・・という話で、私と牧子の長いなが〜い、出口が見えないホームページ作成講座が始まったのです。
 私も決してデジタルな人間ではありません。(もとは映像のシナリオを書いたり、博物館の企画構成などをやっていた。)しかし、いくら染織という超ローテクを商売にしているからといって、こんなにコンピュータの気持ちがわからなくていいものか。
 いわば、一歩進んで二歩下がる状態。そして今も、私は、牧子からのメールを開くたびにドキドキ(実は少しワクワク)するのです。「今日はどんなトンチンカンな質問をしてやがるかな?へへへ・・」と。

 さて、“つる風”との出会いから1年。ふと気づくと、風に巻かれたおかげで、ずいぶん有意義な出会いがありました。あの日、我が家に“つる風”が吹いてこなかったら、あるいはそこで雨戸を閉め切ってやり過ごしていたら、決して得ることができなかった貴重な出会いです。私は言いたい。「“つる”に限らず、風には巻き込まれてみるもんだ!」一度しかない人生が、どんどんドラマチックに、面白く展開していく。巻き込んでくれてありがとう、つる風。これからも、共白髪になるまでよろしくね。(ただし、お手やわらかに。)

※なお、“つる風”の別称を持つに至った所以は、“つる”本人にご確認下さい。

<私が参加するホームページ>

●鎌倉子育てガイド●
こちらは玉縄方面の風に巻き込まれて始めたボランティア・サイト。

鎌倉での子育てに役立つ情報が満載! 掲示板、オフ会も盛り上がってます。

●かまくら楽食日記●
鎌倉で、2000円以下でおいしくランチが食べられる店をレポート中。

カジュ参加の絵描きさん、井上智陽さんのイラストが楽しめます。リンク参照。

島津さんへのメールはこちら






「フジ子・ヘミングピアノリサイタルを聴いて」
  波多 圭以子(アンダンテ・ピアノ・ストゥ−ディオ)

 2000年11月2日(木)に話題のフジ子・ヘミングが鎌倉に来る!  きっとこの日を待ち望んだ人も多かったことでしょう。
 当日は、雷が鳴り響き、大雨の降る最悪の天気にもかかわらず、たくさんの人が会場を埋めました。私も久しぶりにわくわくして、開演を待っていました。
 第一部は、シューベルト、ドビュッシー、リスト。第ニ部は、ショパンのノクターンとエチュードといった全体に商品を集めたプログラム。
 客席のライトが落ち、ステージに現われたフジ子さんの印象は・・・!
とても普通の感じでありました。なんだか変な言い方ですが、キラキラ、ビラビラ〜の衣裳でカツカツ出てくるというのでなく、まるで、今、彼女の部屋からふっと出てきたかのような、そんな不思議な感じです。
 演奏が始まって、その印象は、ますます強く感じられました。決して派手ではなく、しかし、主張のある音楽。ただ単に、やさしいとか美しいとかいう音ではない。私にはむしろ多くの苦しみ、傷ついた心から生まれでる力強さ、激しさ。それゆえの優しさのように感じられました。何故かちょっと哀しい気持ちにもさせられる。(初めてCDを聴いたときもそだったなぁ。)なにしろそこには、フジ子・ヘミングの世界があるというステージでした。 私個人としては、もっと小さい場所で聴いてみたいと思います。
 ところで、演奏する側からステージを見てみる、というのも面白いものなのですが、今回大変興味深かったのは、お客さんの「拍手」です。
 拍手ひとつで演奏者を盛り上げたり(ホント、うれしいものです!)また、演奏者と客席の間をギクシャクとしたものにする、ということです。小品を組み合わせたときなどは、同じ作曲家の曲は続けて弾きたいという気持ちがあります。それは、曲の間や音楽の移り変わりも一つの音楽として表現したいからです。そこに拍手が湧くと保っていた緊張が途切れ、会場の空気も動いてしまう、それが静まってから次の曲・・・となると、プログラム全体のリズムが掴みにくくなるわけです。
 この日は、一つ一つに拍手が湧き(それはすばらしい演奏だったからですが)ちょっとフジ子さんは弾きづらそうでした。後半は無理やり曲をつなげた形になり、ドキドキしました。
 しかし、コンサートは一人でできるものでもなく、弾き手と聴き手とのキャッチボールのはずだす。最近では、クラッシックのコンサートでもトークを入れながら演奏する人も増えているわけで、「では、2曲続けてお聞き下さい・・・」というように話すこともできるのです。それに、音楽は、人の心に響いてこそ、楽しいもの、拍手をもらったら演奏者はそれを素直に受け止め、「それじゃあ、次はこくな音楽はどう?」という気持ちで客席へ音楽を送ることができたら、本当にすばらしいものになるのではないか・・・など、いろいろ感じ、考えさせられたコンサートでした。


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         ★ちょっとティーブレイク★



「春の花鉢の育て方ワンポイントアドバイス」 
芳賀研司(ABCフラワーワークス)


 花屋さんの店先にはもう春の花鉢が沢山、売られていますよね。 そこで今咲いている花鉢を買われた方にアドバイスです。
 チューリップや水仙等は今から葉っぱが自然に枯れる5〜6月まで間肥料をたくさん与えましょう。土の中の球根を太らせておけば、来年また綺麗なお花を咲かせてくれるはずです。
 お花が終わっても葉っぱが元気なうちは肥料を与えてください。
 お花を早めに切って、切花として楽しめばより球根にはいいのです。
 まだ路地のチューリップなどは咲いていませんよね。寒いからといってお部屋の中に入れてしまってはいけません。寒さに当てないと、立派な花芽を付けてくれません。よく、花の茎が伸びきらず根元で咲いてしまうのは寒さに十分当たっていなかった為です。

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  「古市涼子のノーテンキ通信」 古市涼子(こども造形教室)


 21世紀、祝・シリーズ化!!・・・というわけで、今回からタイトルも新たに始まります。                         
 
この「ノーテンキ通信」、読んでも得することはないでしょう。でももしかすると、ドキドキしたり、ほっぺがポッとなったり、人生変わちゃったりするかもしれません。さあ、読んでみましょう。         
 
2月14日、バレンタインデー。中学1年13才の私は「もう子どもじゃないのよ」ってな気分で、ソバカスのかわいい男の子に、学校1センスのいいチョコレートを学校の隣にある老人ホームの庭で渡しました。「ありがとう。」彼の笑顔はまちがいなくジャニーズ系でした。        
 3月14日・ホワイトデー。彼はかわいいビンに入ったフーセンガムをくれました。大切にしまっておいたそのガム・・・ついに私は食べられませんでした。「見て見て! 2段重ね!!」母は見事な2段重ねのフーセンをつくっていました。私のガム一粒残らずつかって。私は泣きました。そりゃぁもう、泣に泣きました。「だって、たくさんつかわないと2段重ねできないもん。」母は言いました。「それにね、あんた。ガムがお返しってことは、ポイ捨てって意味よ。」

   古市涼子センセのコラムは、ファン急増のため、今号のカジュ通信から
    レギュラー化が決定しました。今後もお楽しみに。


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    「美味しいワインに出会いたかったら・・・」
         
稲垣真由美(編集スタッフ)


今回、ご紹介するお店は、「ワインが好き! だけど種類がたくさんあり過ぎてどれを選べはよいのかわからない」・・・そんな方に絶対おすすめのワイン専門店です。
 とにかく、こちらのお店を利用すること20回以上の私、いつも、「ゴルゴンゾ−ラのパスタに合う1000円以下のものを」「今晩はアジのフライなんですけど」「人にプレゼントします。予算は3000円まで。赤で見栄えと味のよいものを」「娘が生まれた1996年のものを。娘が20才になったときに飲みたいので、寝かせておいて楽しみなものを」・・・とまぁこんな感じでかいに行きます。
 すると、500円から上限エンドレス、8000本程あるワインの中から、ワインアドバイザーとフランス政府が発行している「コンセイエ」の2つの資格をお持ちの奥様がさっと選んで下さるのです。
 これがまあ、一度たりともハズれたことがない!!いつも満足の一本に出会えた浸れるのです。(これが500円のワインです)
 是非、皆さんも飲みたいワインのイメージを伝えてみてください。きっと、希望通りの一本に出会えるはずです。
 併設されているギャラリーも必見です。

           鎌倉ワイン館
 鎌倉市御成町17-24  0467-23-7211 10:00-19:00(木曜定休)
        (鎌倉駅西口 徒歩1分 鎌倉市役所向かい)

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